■喜多郎

喜多郎 ( きたろう 本名:高橋正則 1953年2月4日生 ) は,愛知県豊橋市出身のシンセサイザー奏者,作曲家で,喜多郎という名は,高校時代に長髪にしていたため,ゲゲゲの鬼太郎からニックネームを『 キタロウ 』と呼ばれていたことから『キタロウ』に別の漢字を割り当てて名前をつけた。
独自のクリエイティヴな自然環境からインスピレーションを取り入れた作品は,世界でも評価が高く,夏には,毎年富士山5合目の太郎坊駐車場で,一年に一度大地への感謝の気持ちを表現した『無料イベント富士山讃歌』を,日没から夜明けまでの12時間かけてファンと一体になって行なっている。
喜多郎は,1970年にドイツのシンセサイザー奏者クラウス シュルツと『ファーイースト ファミリーバンド』のメンバーとして訪れたヨーロッパで出会い,シンセサイザーにすっかり魅了され,喜多郎は自分の音楽とシンセサイザーの接点を,帰国後に見いだした。
1978年に,ソリストとして演奏活動を開始し,初のアルバムの『天界』をリリース。1980年,NHK制作のドキュメンタリー番組,NHK特集『シルクロード』の音楽を担当し,そのテーマ曲は喜多郎の代表作の一つとなり,国内外での演奏や多くの作曲作品を発表。1984年にはアジアツアーを行ない,喜多郎は台湾と中国で演奏した最初の日本人ミュージシャンとなった。

■シルクロードと喜多郎


■シルクロード - Silk Road

シルクロードは,長安 ( 西安 ) からアジアを西に通じ,ペルシャ,ローマを経てヨーロッパに通じる全長七千キロで,紀元前二世紀頃から約千年に渡り東西の交易で栄え,長安は東西文化交流の都で,ドイツの地理学者がこの交易路を『シルクロード』と呼んだことからこの呼び名が広まった。

シルクロードは,期限前130年ごろ,漢の武帝が征服と同盟を通じて中央アジアの広い地域を傘下に治めた後のもので,このルートを通って中国特産の絹が交易されたことから,『 シルクロード ( 絹の道 ) 』,『 シルクルート 』とも呼ばれ,細部を含めれば何本かのルートがあったが,海路を除くとモンゴル高原から黒海北方の広大な草原地帯をを通ってヨーロッパに至る『草原の道』と,中国の長安や洛陽から天山山脈,パミール高原を経て西アジアからヨーロッパに至る『オアシスの道』があった。

この地域が安定し漢による行路建設がすすみ,長距離往来が可能となると,隊商はシルクロード上で個別の隊商がおちあって交易を行い,西方からは金・羊毛・ガラス製品,中国からは絹や製紙法など,それぞれの文化や知識も伝えられた。

■海のシルクロードと日本

中国と関わる貿易路の代名詞のように『 シルクロード 』は云われ,中国の南から海に乗り出し,東南アジア,インド洋を経てインド,アラビア半島に至る海路のことを『 海のシルクロード 』と呼ばれることもある。

エジプトはプトレマイオス朝の時代から紅海の港からインドと通商を行い,古代ローマもこの貿易路を継承して南インドにいくつかの商業拠点を築いて,絹を求めて中国にまで達したが,古代にはマレー半島のクラ地峡を横断するルートが多く,陸のシルクロードは諸国の戦争でしばしば中断したのに対し,このルートでセイロンやインド,ペルシアの商人も中国に行き,海のシルクロードを遮るものはなかった。

日本では,奈良の正倉院に数多くの中国製やペルシア製の宝物,天平時代に遣唐使に随行してペルシア人が日本に来朝したことに関する記録などがあり,当時の日本は唐代の東西交通路に連なっていたと認識されて,現在の大阪市住吉区の摂津国の住吉津は『 シルクロードの日本の玄関 』,飛鳥京や平城京は『 シルクロードの東の終着点 』と呼ばれることがある。


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